香りで迎える2012 12/26~1/24
HERBAL MAGAZINE マガジン

<vol.6>アマゾンに生活の木を植えるんじゃき!

京都は北大路の料理屋で、酔って新撰組に襲われた際、
庭の縁石に左足をぶっつけ、このごろ左足の調子が良くないウダサン竜馬。
何?ほんとのことを言えですと。ではもう一度初めから。

京橋は北大路という料理屋で、酔って尿意に襲われた際、
皆の宴席を抜けトイレに行くとき足を踏み外し、
このごろ左足の調子が良くないウダサン竜馬・・・。

実に間抜けな話でスイマセン・・・。
さて、そんなことはともかく、今度はアマゾンにやってきました。
アマゾンはでかいですよ。
あ、今回から土佐弁にはこだわらないことにしました。
ただ、根っから江戸の下町育ちですんで、べらんめー調になっちゃいますが、
そこはひとつ御勘弁を願っておきます。
では本題に、アマゾン、ブラジルにあるんです。遠いですよ。

成田-ダラスが13時間、ダラスーマイアミが3時間、
ここで一泊、マイアミビーチをぶらつき路上の?
レストランで牡蠣や海老の大きいのにかぶりつきの一杯。
いや最高です。ところが次の日が大変、4時起きで飛行機です。
これが5時間。やっとの思いで着いたところがマナウスでした。
詳しくは佐々木先生が書いてると思うのでアタシは
おおざっぱになりますが了解してください。

ネグロ川となんとか言う川が合わさってアマゾン河になるんだそうです。
その合流地点をちっちゃなボートで行ったり来たり。
黒い水と茶色い水なんで、手ぇー突っ込んでみたりしながら川っぷちのホテルへ。

夜はワニを見に行くナイトツアーとかでまたボート。
そのワニが片手で捕まえられるほどの大きさで・・。
寝てからもボートのモーター音が耳に付いちゃって・・。
どうもアタシの思い描いてたアマゾンとはちょっとばっかり
イメージが違うんですねえ・・・。

真っ白いサファリジャケットに白い帽子をかぶって、
胸には双眼鏡かなんかぶらさげちゃって、木の枝が張り出したちっちゃな川を、
静かに手漕ぎの櫂で進んで行く。
両側のジャングルでは、チチッ・チチッと鳥がさえずり、
岸で日向ぼっこをしていたワニたちが次々と川に潜り込んでくる。

その中の一匹が同乗している小倉編集長に襲い掛かる。
そのとき早くウダサンが櫂を振り下ろしてワニを一撃・・。
小倉は片手だけで命は助かった・・・。てなことを思ってたんですがね。

ま、馬鹿はこのぐらいにして、アマゾン・ブラジルです。
ブラジルと言えば先人の我が同胞の方々が新天地を求めて入植された国です。
ざっと歴史を振り返ってみましょう。1500年、ポルトガルがブラジル発見。
18世紀までポルトガルの植民地として、サトウキビと綿花の農園が発展。
西アフリカから黒人奴隷がつれてこられ農園主に強制労働を強いられる。
なんとあのガーナからも連れてこられたそう。
これは1850年の奴隷貿易廃止まで続きます。
1822年、ポルトガルからの独立を果たしコーヒーとゴムが主要産業となり、
奴隷に代わりヨーロッパからの移民が奨励される。
1876年、英国の探検家H.ウイッカムが禁輸品だったゴムの種子を持ち出し、
ロンドンのキューガーデンで増殖。翌年にはスリランカの
ペーラーデーニア植物園にも移植、その後東南アジアに移植され
ゴムの生産地となるのですが、1896年ごろアマゾンゴム景気の真最中には、
マナウスで欧州移民がゴム成金として巨万の富を築き、
パリ・オペラ座を模したアマゾナス劇場
(客席650、オペラ座、ミラノのスカラ座と合わせて、世界の三大オペラ座と称される。)
が、こけら落としするなど、アマゾンのゴム産業は盛んだったそうです。

しかし、このころを頂点にアマゾンのゴム産業は東南アジアに押されるようになります。
なんと!この時なんです。
歴史のいたずらか、神様に与えられた試練なのか、日本人移民です。
1908年(明治40年)、皇国植民会社がサンパウロ州農務局と
3ヵ年3、000名の日本移民輸送契約に調印したのです。
当時、明治政府は貧しい農民の海外移民を奨励していました。
一方、ブラジルは広大な土地に対する農民不足から積極的に移民受け入れをしていたのです。
皮肉なことに1913年には東南アジアのゴム生産量がブラジルを抜きます。
アマゾンに入植された日本人移民はゴムでは生計が立てられず、
大変なご苦労をされました。

1933年、日本人のブラジル移民最盛期には、年間2万人が移民したといいます。
しかし、時すでに遅しか、ブラジル移民で一攫千金の冨を築いたのは、
日本人より遥か先に来ていた欧州人、後から来た日本人は
ゴム景気も終わり、自分で農園・農場を切り開かなくてはならず・・・
という、非常なご苦労を強いられることになったのです。
ここに当時のポスターがあります。
「さあ 行かう 一家を あげて 南米へ」・・・・・・・
鍬を持って、抱えているのは子供たちでしょうか・・・。
わしゃー涙がでるぜよ・・・・・・・。

今年は「日本人移民100周年」だそうです。
異国の土になった方も大勢いらっしゃることでしょう。
今、この時、頑張っている方も居られることだと思います。
皆様方の御健康とお幸せを心からお祈りいたします。
今の日本の豊かさは皆様のお陰でもあります。
本当に感謝いたします。おっと、湿っぽくなっちゃいました。
調子を変えましょう。移民と言えばかの有名な「笠戸丸」。
これを思い出すと口をつくのが北原ミレイ。
かさとまる、出てきますよ、一曲いきますか・・・。
あれからニシンは~どこへ行ったのか~  破れた網は問い刺し網か~
今じゃ~浜辺で~  オンボロロ~ オンボロボ~ロ~ロ~
沖~を通るは~  笠戸丸~  わたしゃ涙で~ ニシン曇りの~空を見る~
そんなこんなの想いを胸に、やってきましたアマゾンです。

幸い、怪我のなかった小倉さん、蚊に喰われまくった佐々木先生、
航空写真も予定の那須野さん、そしてアタシの4人のクルー。
もう8回目だそうで息もぴったり、夜はゴックンと一杯です。
今回の使命は、絶滅を危惧されているというローズウッドの実態調査です。
蒸留現場に行く前に、まずはマナウスの港です。
結構大きな観光船や、それこそ漁師の2人乗りみたいな
ボートなどが行き交い、見ているだけで飽きません。

しかし雄大ですよアマゾン河は・・・。
ウダサン竜馬もとうとうアマゾンまでやってきました。
神戸港から出たという笠戸丸の移民船を想い、
この港に着いた人たちの気持ちを思うと、本当に感無量です。
もしアタシが入植してたら・・なんて思い、いつまでも眺めていたものです。
アタシは力はあるんですが、どうも農作業は向かないようです。
馬には乗りたいんですが飼うのはどうも・・。
牛はよだれがいやだし、豚ははなッから嫌いです。
鶏はこっちがケッコウだし、ゴムは手がべたべたになるだろうし・・。
コーヒーはいいんですが、棘があるのと収穫の朝が早くて・・。
というと・・・?やっぱり入植はできなかったようです。

てなことを言うとウダサンは軟弱な怠け者みたいに思われてはいけませんので、
はっきりと言っておきます。これは冗談ですよ。
本当は人の見ていないところでも、粘り強く努力するのがアタシです。
信条は努力・忍耐なんですから・・。ほんとに。
いや、本当の座右の銘は「細心にして大胆」なんですが、どうでもいいか・・。
さてローズウッドですが、連邦政府、ブラジル環境・再生可能天然資源院が
ローズウッドの規制を作り、各州政府がその運用をする。
アマゾナス州はアマゾナス州環境保全研究所が
管理プロジェクトの監視と承認を行うとの由。
アマゾナス州政府環境・サステナブル発展省とのミーティングで
聞いた所では、ローズウッド等保護樹木の伐採は許可制。
ローズウッドはナンバーリングで管理。
フォーハンドサイズに満たないものは伐採できない。
伐採一本ごとに、16本の植林を義務付け。等々でした。
大アマゾンの環境は世界的にも考慮せざるを得ないという結果でしょう。

そしてついに行ってきました。
マナウスから6人乗りの飛行機(その名もエアータクシー!)で約一時間、
アマゾン河を下って到着したのが蒸留所です。
いました居ました、アタシの同志が・・。
1940年代からローズウッドの精油を蒸留しているところです。
創業者は残念ながら亡くなっておられますが、
脈々とその精神は引き継がれていました。
その偉大な創業者は1923年生まれのユダヤ系ブラジル人、
法律大学卒業後、米国で社会学を修めます。
企業家の一方、50年以上アマゾン大学教授として教鞭をとり、
109冊のアマゾンに関する著書を物仕、その著作を通して
アマゾン経済の発展と環境保護のバランスが最も重要であると一貫して
主張してきたそうです。現在、事業は娘さんとその御主人(ブルガリア出身)に
引き継がれ、環境問題、特にローズウッドの保護、いや驚きです。
保護はもとより、なんと19年も前から植林をされているのです。
それも植林したものは伐らずに枝葉だけを利用し精油を採ろう
という試みを予定してるとか・・。
そうと聞いてはウダサン竜馬も黙っちゃいられません。
「よっしゃ、あしらもやるきよ!」です。
「なに?一本伐ったたら16本?ほがなせこいこと言いよらんと、
あしら生活の木やき一本使ったら100本だ!」てなもんです。
「ワンツリー・フォー・ハンドレッドツリーじゃき・・・。」

早速一年使用するんであろう精油の量を計算し、
出た答えにちょっと上乗せし、1000本!一声1000本でっせ!
(相変わらず興奮すると各地の言葉が混じっちゃいます・・。)
そうと決まれば即実行です。苗を1000本用意してもらって、即植林です。

ただし・・その日の暑いの暑くないの・・。36°Cは間違いなくありました。
赤道直下のお天道様がギラギラ照りつけます。
現地の人はバスタオルを持ってましたが大正解。
こっちはバーバリーのしゃれたハンカチです。
ジョウダンじゃありません。すぐにびっしょり、絞れるほどです。
それを車のボンネットに拡げて、拭いては絞って乾かし、
拭いては絞って乾かし・・。帰ろうかと思いましたが、そこは勢い、
(みんなも見てますし・・)行きたくなかったんですがきれいに
整地された植林場所まで行って植えてきました。
ただ、あの、なんです、植えたのは一本だけですよ。
後は残念でしたが頼んできました。

帰って見たら黒いシャツが塩を噴いてました。
死ぬかと思った・・。でも見ていてください。
この木がいずれ素晴らしいローズウッドオイルをもたらせてくれます。
ガーナのシアの木は石鹸ができた後に植えることになりますが、
今回はローズウッドの精油を新たに調達する場所に、
最初っから植えようてんですから豪勢・・じゃなかった・・
有意義でしょ?いやそうなんです。
「生活の木は世界のコミュニティートレード先に生活の木を植える。」です。
この木の作る酸素が、皆さんのところにまで届いたらと思うと、
なんだかものすごくいいことをしたような気分です。
もしも届いた時はぜひ連絡ください。
ちょっとローズウッドくさいから解るかも・・。

さて、馬鹿なことを言ってるうちにそろそろお別れですが、
アマゾンはでっかいですよ。他にもいろいろありました。
ゴムの木からゴムをとって見せるいつもパンツ一丁で裸足のオジサンや、
アマゾン川をゆうゆうと溺れているかと思える泳ぎで泳いでいたナマケモノ、
それを案内人が捕まえてアタシも記念に手に持って写真を撮ったりと・・・。
最初のイメージとは違ってましたが、アマゾンはアマゾンでした。
空の上からじっと見ていた大アマゾンの大自然と植生。
地球環境にいやでも思いを馳せらされた旅でした。
よし、これからもチャレンジだ! というところで・・・、じゃーまたね。

 

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◆プロフィール

宇田川僚一 うだがわ・りょういち(通称Uda-san) (株)生活の木専務取締役。1975年以来ハーブ、アロマテラピーの開発、普及に取り組む。(社)日本ホビー協会理事。(NPO)日本メディカルハーブ協会専務理事。全国ハーブサミット連絡協議会委員。地域中小企業支援センター専門家。中小企業金融公庫成長新事業育成審査員。日本貿易振興機構(JETRO)専門家。国際協力機構(JICA)専門家。国際農林業協働協会(JAICAF)専門家。

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