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世界のパートナーファーム Herb Travel 佐々木 薫ハーブ紀行

南イタリア 雨上がりの春の朝に香る ベルガモット

2018.01.25 TEXT by Kaoru Sasaki

甘さと苦さ、爽やかさをあわせ持つフレッシュな香りベルガモット。紅茶のアールグレイの香りとしてもおなじみです。
しかし、親しまれる反面、実物を目にする機会は少ない、稀少な果実でもあります。たくさんの疑問を解くために、ベルガモットの故郷、ボリジの花咲く早春のイタリアを訪ねました。

ベルガモットの収穫

精油を採る大事な果皮を傷つけないよう、一つ一つ手で丁寧に収穫します。
畑のオーナーの家では、オレンジなどとあわせてサラダにして食べるそう。
摘み手の農夫サルバトーレさん。足元には青々としたオキザリス(カタバミ属)。
ベルガモットは上からフェミネロ、カスタニャーロ、2つの種のよいところをとったファンタスティコの3つの栽培品種があります。

畑を訪ねたのは1月上旬。例年11月下旬から2月上旬まで行われるという収穫は、今がピークです。この畑は150年前から続くというもので、もとはオリーブ畑だったそう。
昼夜の温度差が少なく、真冬でも10℃~15℃というこのあたりの気候は、寒さに弱いベルガモットには好適。真夏も32℃前後と、暑すぎないことも加担します。水も重要で、足りない分は灌漑が行われています。
1人1日に25~30個のバスケット分を収穫します。11月のまだ青い頃から、黄みどり、黄色、黄金色と時期によって果実の色も変化し、その果皮の色が精油の色に反映します。収穫した果実はトラックで回収され、精油工場へと運ばれます。

ベルガモット& 柑橘精油試験所

柑橘類の生産が盛んなカラブリア州の中心、レッジョ・カラブリアには柑橘精油の調査研究を行う試験所があります。ベルガモットが商業目的で本格的に栽培されるようになった18世紀頃からの写真や資料、古い搾油機なども展示され、ちょっとしたミュージアムのようです。
所長さん曰く「ベルガモットの木からは6つの宝物が採れる」と。果皮からは精油やママレードの原料、果汁は健康食品の原料、果皮と果汁を搾った残りの果肉は飼料に、枝葉と未熟果からはプチ グレイン精油も採れ、用途はないが香りのよい花、がその6つです。

世界のベルガモット精油の90%を生産する 南イタリア・カラブリア州

イタリア半島の先端、長靴のつま先、レッジョ・カラブリア。対岸にはシチリア島を大きく臨むこの地域は、世界で唯一とも言える、ミカン科・ベルガモットの産地です。最高品質のベルガモット精油は、この南イタリア・カラブリア州の小さな街で生まれます。
大きな川に沿った、海沿いの谷あいの村。ここが世界で限られたベルガモットの産地として選ばれた土地です。ベルガモット、オレンジ、オリーブの畑が広がり、夏は川が干上がるほどに乾燥しますが、 地上から20m下にはミネラル豊富な地下水が流れ、木々のよい水源となっています。
ベルガモットが歴史に登場した初期の頃から、人々はこの柑橘の「果汁」よりも「香り」に魅了され、香粧品として愛用してきました。

Bergamot
[ベルガモット] 学名:Citrus bergamia

ミカン科 常緑性高木

ベルガモットはキトゥルス(Citrus)属の中でもごく初期に発生した原始的な「ライム」のグループに属し、ライムとレモン(ビターオレンジの説もあり)の交配種とされます。 ライムのシャープさとレモンの明るさを受け継ぎ、気品が感じられる香り。果実は球形から洋ナシを縦につぶしたような形で、直径8~10cm。 精油生産だけのために栽培される特殊な柑橘類です。果実には非常に強い苦味があり、生食には向かないとされます。木々は高さ約3~5m。通常ビターオレンジの台木に接ぎ木されます。開花期は4~5月。オレンジよりもやや小ぶりで丸みをおびた白い花をつけます。
カラブリアに最初のベルガモット農場ができたのは1650年のこと。
果実をつかんだ時、手に残る香りがとてもよいことに気づき、これがきっかけで、ベルガモットの香料生産が始まったといいます。

フレッシュなうちに精油工場へ

  1. 乾燥。
    畑から運ばれた果実は、そのまま倉庫に3,4日置かれ、果皮の余分な水分を乾かします。
  2. 洗浄。
    水槽に投入され、1時間ほど水洗浄します。異物や不純物は人の目で除去されます。
  3. ペラトリーチェ。
    おろし金のついたらせん状のスクリューの中に果実を通し、外果皮の表面をすりおろします。精油は水と共に洗い流されていきます。
  4. 精油の誕生。
    液体は、漉し機で繊維質は除去され、遠心分離機にかけられます。精油の色は緑から緑がかった黄色。果実の果皮の色が大きく影響します。

昔ながらの精油抽出法

  1. アントニオ氏が14才の時に習った「スポンジ法」。
    ベルガモットの産地カラブリアには、18世紀以来、精油を製造して来た歴史と伝統があります。昔ながらの精油抽出法のひとつである「スポンジ法」は、抽出した精油を海綿に浸み込ませ集めるという方法で、1960年代頃まで行われていました。
    しかし、抽出量が少ないわりに多くの労働者を必要としたため、現在は行われていません。そこで、その伝統的な方法をアントニオ氏から特別に教えていただきました。
  2. 果肉の除去。
    果実を半分に割り、皮を傷つけないように注意しながら、専用のナイフ「ラステレロ」で、皮と繊維を残し、果肉をすくいとります。果肉を取るのは、果汁が精油に混ざらないようにするため。
  3. 圧搾。
    果皮をひとつずつ海綿(スポンジ)に押し付け、精油を吸収させます。たっぷり浸み込んだところで、海綿を絞り、テラコッタ製の専用の容器「コンコリーナ」に貯めます。
  4. 果肉を取り除いた果皮。
    小さなボウルのようで可愛らしい。このユニークさが目を引いてか、かつては、果皮を利用したフタ付の容器やボトルなどの細工物などが楽しまれていました。

文豪ゲーテの愛した香り ケルニッシュ・ヴァッサー(ケルンの水)

イタリアで生まれたベルガモット精油は、やがて元祖オー・デ・コロンの香りとなって、ヨーロッパ中の著名人の人気を集めます。文豪ゲーテも愛用し、執筆の際には手元に置いていたと伝えられるこの香りは、「ケルンの水」の名でもおなじみです。ベルガモットを通して、「ケルンの水」のルーツを辿ります。

オー・デ・コロン発祥の街、ケルン

ライン川河畔に位置する、ドイツ有数の産業都市、ケルン。歴史は古く、ローマ時代の遺跡も数多く残ります。ケルンの名の由来はラテン語の「コロニア」といわれ、植民都市を意味します。この歴史と産業の街ケルンで生まれた香水「ケルンの水」は、「オー・デ・コロン」としてその名を現代に残しました。

オー・デ・コロンは18世紀初頭、ケルンで誕生しました。北イタリア出身のファリーナやフェミニスは、どちらも何か商売でひと旗あげようと、ケルンの街にやって来ました。 彼らは修道院などを中心に製造されている、アルコールに香料を混ぜた香りの水「アクア・ミラビリス(驚異の水)」のオリジナルブレンドを処方してケルンに紹介し、やがてファリーナの作った「ケルニッシュ・ヴァッサー(ケルンの水)」として、フランスに紹介されることになります。 「ケルン」=Cologne、「水」= Eau、フランスでは「オー・デ・コロン」と呼ばれ、人気を集めました。

1709年創業を示すファリーナ・ハウスのカルトゥーシュ。
ケルン市は「香水の街」として世界中にケルンの名を知らしめたファリーナを称え、旧市庁舎の建物に香水瓶をもつ彼の石像を設置。

1693年、初代ファリーナがイタリアからやって来た頃のケルンの街は、衛生状況は悪く、悪臭に満ちていました。水状況が悪く、高貴な人もバスタブを持っていても使えない状態。だからこそ、体臭を消す目的で頻繁に香水が使われました。当時ケルンで流行していた香りは、ムスクなどを中心とした重厚な香りです。 そこでファリーナは爽やかでフレッシュな、春の朝をイメージのアクア・ミラビリスの魅力をこの地で再現しようと試みます。 彼が作った香りはやがて「ケルニッシュ・ヴァッサー」と呼ばれ、社交界の人気を博し、大成功を収めます。さらにはその名が独り歩きし、 「オー・デ・コロン」が一般名称となるほど、世界中に浸透しました。彼の工房「ファリーナ・ハウス」は戦後再建され、現在も同じ場所に残ります。 ここにはヨーロッパ中のお金持ちが集まり、貴賓室もありました。海外からやってきて一晩過ごし、コロンを買って帰る、サロンのような場所でした。

世界最古のオー・デ・コロン工房 ファリーナ・ハウス

オー・デ・コロンをストックしていた
木樽。
世界中から集めた原料をストックする「エッセンス・ルーム」。
コロンといえば、アルコールも原料として重要と教えてくれた
初代「ヨハン・マリア・ファリーナ」。
現存するファリーナ家の1709年以来の古文書。顧客にはヴォルテール、モーツアルト、ヴァルザック、トーマスマン、ヴィクトリア女王、ダイアナ妃の名も。

ファリーナ家の処方した「ケルンの水」は多くの著名人に愛され、ナポレオンやゲーテもこのファリーナ・ハウスのドアを開きました。ナポレオンはブーツの中にこの香水瓶をしのばせ、いつも携帯するほどでした。贅沢にも彼は1日1本を使ったという伝説も残ります。 1794年フランス革命以降、ドイツがフランスの侵略を受ける頃には、「ケルニッシュ・ヴァッサー」のフランス語名「オー・デ・コロン」は一般名称化し、「オー・デ・コロン」を製造する企業も複数存在するようになっていきました。

爽やかに香り、スーッと消える... オー・デ・コロンの魅力

300年の時を経て、今なおケルンでは、ファリーナ家がその伝統の香りを作り続けています。現在のファリーナ家当主であるヨハン・マリア・ファリーナ8世からお話を伺いました。書斎も兼ねた彼のオフィスには香料や植物に 関する書籍や資料が整然と並びます。300年前の初代ボトルも見せていただきました。ファリーナ家のオー・デ・コロンの処方のポイントは「ベルガモット」、コロンの魅力は、香りがすぐ消え、 そのはかなさが魅力と教えてくれました。文豪ゲーテはコロンを浸み込ませたハンカチを手元に置き、時々香りを嗅ぎながら、詩作に励んだそう。

ボトルはカンディンスキーをはじめとするアーチストによってデザインされたもの。描かれるサインは300年間、商標として使い続けられてきました。
トレードマークのチュ-リップは、創業当時、大変高値で取引さ<れていたチューリップを採用することで、高貴さを象徴しました。

初代ファリーナのレシピは、今なお受け継がれていると言います。ファリーナ家が大事にしているのは、「同じ香りを保つこと」。香りの再現性です。原材料は自然のもの故に、毎年、質は変化します。処方を忠実 に守ることよりも、完成品を同じにすることを重視するそうです。18世紀の頃は、身につけている香りで、その人を認識する時代でした。香りは自分自身を特徴づける重要な要素だったようです。だからこそ、常に同じ香りを提供できる技術はとても重要だったのでしょう。
「イタリアの春の雨上がりの朝のイメージ」とは、いったいどんな香りでしょう?夜中に降った雨でよけいな埃は洗い流され、澄んだ空気の中、朝陽を浴びた花々やハーブは一層と匂い立つことでしょう。早春を彩る柑橘の果実と共に... まさに、レッジョ・カラブリアの朝のベルガモット畑の風景です。ファリーナ氏の言葉に、ベルガモットの香りが一層、愛おしくなりました。

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