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アウトドアアロマ「シトロネラ」を訪ねて インドネシア ジャワ島の旅

2017.03.17 TEXT by Kaoru Sasaki

ジャワ島のあるインドネシア共和国は、世界最大の島嶼(とうしょ)国家。赤道に程近く点在する約1万7千の島で構成され、ある地理学者はその姿を首飾りに例えました。色は緑、熱帯雨林に覆われた植物豊かな島々で、当時貴重なスパイスだった、クローブとナツメグが生育していました。これらはインドネシアのマルク諸島のみに生育し、その島々は古くから「香料諸島」と呼ばれてきました。
15世紀に始まる大航海時代はこれらのスパイスを捜し求める旅でもあり、ポルトガル、スペイン、イギリス、オランダと争奪戦が繰り返されました。古くよりインドネシアは、島々に生育するハーブ・アロマ・スパイスで世界中の人々を引きつけてきました。そして今、注目されるのが、ジャワ産シトロネラです。

「シトロネラ」の歴史を紐解く

シトロネラは、もともとインドが原産で、宗教儀式の際に使われたと言われますが、農業生産はスリランカでスタートしました。18世紀には精油がヨーロッパに輸出され、19世紀のヨーロッパでは、「Oleum siree( オレウム・シレー)」と呼ばれ、大変人気な香料だったそうです。ジャワ島に持ち込まれたのは19世紀末。ジャワの環境に即し、優良な品種が生産されるようになりました。

シトロネラ精油の抽出工程

ジャカルタの街の喧騒から離れ、標高600m程度、やや涼やかな小高い丘に、シトロネラの有機栽培畑は広がります。1株ずつ丁寧に鎌で刈り取り、蒸留所に運びます。刈取りは3~5カ月毎、1つの株から5年ほど収穫します。蒸留用の水は川の水と雨水を利用し、搾りカスは燃料に用い、精油と共に得る芳香蒸留水は清掃に使うそうです。自然資源を有効活用し、また自然に戻します。
この工場では、収穫した葉は乾燥させず、そのまま蒸留していました。精油の香りはややきつく感じますが、フレッシュなシトロネラの葉の香りはみずみずしく、とても爽やかでした。

Citronella
[シトロネラ]
Cymbopogon winterianus ジャワタイプ
Cymbopogon nardus セイロンタイプ

イネ科
和名:コウスイガヤ(香水茅)

ススキに似た細い葉が特徴。近縁種のレモングラスに似ていますが、シトロネラのほうがやや大型、葉もしっかりしています。
精油は葉から水蒸気蒸留法で採油され、採油率はジャワタイプが0.5~0.7%、セイロンタイプで約0.4%。主成分は、アルコール類のゲラニオール、シトロネロール、アルデヒド類のシトロネラ―ル。

フレグランスとしてのシトロネラ

シトロネラの主成分であるゲラニオール、シトロネロールは、ダマスクローズの主要成分でもあり、甘いローズ様の香気を持ち、フレグランスとしても活用されます。ジャワタイプはこの2つの成分の含有量が多いため、シャープながらも、フローラルな香りを併せ持ちます。セイロンタイプは、フローラルさも仄かにひそめますが、フレッシュでハーブ調と言われます。忌避作用の高いといわれるシトロネラ―ルは、メリッサを思い起こす香りで、単離香料として石けんなどによく使われます。香料業界では合成香料の重要な原料でもあり、とても需要があります。
シトロネラの香りは、相性のよい香りとブレンドすることでその芳香性はいっそう引き立ち、フレグランスとしても楽しめます。

エッセンシャルオイルの宝庫、インドネシア

カナンガ
Cananga odorata
ベチバー
Vetiveria zizanioides
レモングラス
Cymbopogon citratus
パチュリ
Pogostemon cablin

インドネシアの熱帯雨林の島々は、世界で最も植物相の豊かな地帯といわれます。植物資源の宝庫でもあり、スパイスはじめ精油の原料植物も多数生育します。さらにはその恵まれた環境が選ばれ、各種のプランテーションも広がります。
訪問先もハーブごとの適地を選び、複数の畑でハーブを栽培し、蒸留を行っていました。また畑だけでなく、クローブの木が風除け植栽されていたり、ホテルの庭でカナンガが香っていたりと、随所で芳香植物に出会いました。

千年の眠りから目覚めたボロブドゥール寺院

古都ジョグジャカルタから西北へ車で約1時間、今からおよそ200年前、密林の中に突然姿を現した「ボロブドゥール」。1814年、イギリスの探検家トーマス・スタンフォード・ラッフルズが伝説を確かめるために派遣した、オランダ人コルネリウスにより発掘されました。
8世紀半ばにこの地に栄え、海上交易路を制したシャイレーンドラ王朝によって建設されたものです。シャイレーンドラとはサンスクリット語で「山の王」という意味です。遺跡のレリーフには航海民の活躍を示すものもあり、ジャワが東西交易の主役であったことを彷彿させます。

海のシルクロードに栄えた島、ジャワ島

ジャワ島はインドネシアの歴史遺跡の宝庫です。なぜならこの島は「海のシルクロード」と呼ばれる海上交易ルート上にあり、早くから港が開かれ、人、モノ、情報、文化、宗教、多くのものが行き交い、政治、経済、文化の中心地として繁栄し続けて来ました。また、交易を担う船団が通過するマラッカ海峡は、東洋と西洋を結ぶ回廊でもあり、「季節風が吹き終わり、吹き始めるところ」と評され、東西の交易が行われました。スパイスの宝庫であることも商人を引き寄せた理由のひとつです。
ジャワ島の面積はインドネシア国土の7%に過ぎませんが、人口はインドネシア全体の60%が集中する活気あふれる島です。

ジャワニーズの生活に根ざす民間療法

古代よりインド、中国、アラビア、異国の文化を取り入れながら、土着のものと融合させ、独自の文化を築いてきたインドネシアには、「ジャムゥ」と呼ばれる民間薬があります。ジャムゥは、ジャワの熱帯雨林の恵みである植物の葉、根、木、樹皮などの生薬を調合し、ハチミツや卵を加えたドリンクです。
もともとは薬草に精通した専門家により、目的に応じて処方されていましたが、最近は工場生産のインスタントジャムゥも。専門家のカウンセリングを受け、その人にあったものを処方する、ジャムゥ・スタンドも見かけます。早朝、ジャムゥを詰めた瓶を複数自転車に積み、売り歩く女性の姿も伝統的なようです。

ユネスコ世界無形文化遺産、ジャワのバティック

日本では「ジャワ更紗」の名で親しまれるバティックは、インド更紗を起源とするロウケツ染めです。8世紀~12世紀頃、ヒンズー文化と共にジャワ島に伝わったと言われ、土着の文化と融合しつつ、洗練、多様化され、独自の様式が創られて来ました。
本来は、王族や一部の貴族のみに身に着けることが許される、王宮の象徴、高貴な布でしたが、後、庶民にも広がり、地域ごとにさまざまな文様が生まれました。バティックを広めるために、公式な場でのバティック着用が義務化され、学生服や公務員の制服にも起用されています。子供の頃からなれ親しむことで、愛着や誇りが生まれ、自らのアイデンティティにもなっているそうです。
工房を訪ねると、あたり一面ふくよかな蝋の香りが漂い、女性たちが熱心に細かい作業に集中していました。バティック製作はもとは王女たちの優雅な女性になるための嗜み、精神修行でもありました。商業化された今も、ジャワの価値観や哲学が受け継がれ、精緻を極める手仕事には、静謐な時間が流れていました。

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